【音楽】吉田拓郎、何が凄い!?リスペクトされる理由www

【音楽】吉田拓郎、何が凄い!?リスペクトされる理由www

【音楽】吉田拓郎、何が凄い!?リスペクトされる理由www

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日 – )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ、広島県広島市育ち。 竹田企画(事務所)、avex
383キロバイト (51,488 語) – 2022年7月27日 (水) 14:26
凄いですね

1 muffin ★ :2022/07/31(日) 17:56:26.25

https://toyokeizai.net/articles/-/607878
2022/07/31 5:00

吉田拓郎が、ついに歌手活動からの引退を表明した。

中略
しかし、音楽評論家として思うのは、吉田拓郎という超大物の引退にもかかわらず、その巨大な功績がしっかりと総括されていない感じがするということだ。

今回は、末広がりGパン長髪兄貴世代を客観的に見ていた、ひと世代下の評論家の視点から、吉田拓郎の巨大な功績を、冷静に捉えてみたい。その縦・横・奥行きを正確に測定したいと思う。先に、本稿のタイトルに対しては、「そりゃもう、すべてが凄かった」と返したいものの、それがちょっと乱暴だとすれば「1970年代前半の吉田拓郎によって、Jポップは基礎付けられたんだ」と添えたい。

1970年代前半の吉田拓郎がもたらした最大の功績は「本質的な自作自演の確立」だ。作詞・作曲・歌を1人でこなすという、つまりは、現在のJポップ市場の核を成す自作自演音楽家=いわゆる「シンガーソングライター」の嚆矢(こうし)としての吉田拓郎。

もちろん吉田拓郎以前にも、作詞・作曲・歌を1人でこなす音楽家は存在した。ただ、吉田拓郎の場合は、歌詞とメロディの両面に、他の誰でもない、借り物でもない、あくまで自分ならではの強烈過ぎる個性を放っていた。つまりは「本質的な意味での自作自演」だったのだ。

まずは歌詞。象徴的なパンチラインは、デビュー曲『イメージの詩』(1970年)の中で高らかに宣言される「♪古い船を 今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」。学生運動などに大きく揺れる時代を表現しながら、それ以前の「反戦フォーク」による直截的な文字列に比べて、より文学的/抽象的で、幾重にも解釈の幅が広がり、結果、多くの若者の気持ちをがっちりと掴み取った。

■日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚

また大ヒット曲『結婚しようよ』(1972年)の「♪僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり 町の教会で結婚しようよ」では、結婚というライフイベントを、家と家による保守的な因習としてではなく、自分たちらしく気楽に捉えるんだという、新世代(≒団塊世代)による新価値観に溢れている。

広島から出てきた無名の若者が世に問うた、それまでの日本音楽界のどこにも存在しなかった言語感覚。吉田拓郎によるこれら「本質的な自作自演コトバ」の延長線上に、桑田佳祐や奥田民生がいると、私は考える。

続いてメロディ。こちらは、先鋭的な歌詞とは逆に、とても人懐っこく、口の端にのぼるもので、だからこそ、当時の若者の中で一気に浸透した。

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