「性被害を受けていない人を探すほうが難しい」日本映画界の“ワケのわからない常識”

「性被害を受けていない人を探すほうが難しい」日本映画界の“ワケのわからない常識”

「性被害を受けていない人を探すほうが難しい」日本映画界の“ワケのわからない常識”

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1 muffin ★ :2022/05/13(金) 17:19:41.41

https://www.jprime.jp/articles/-/23906
2022/5/13

今、日本の映画界・芸能界において初めてといっていい、ハラスメント告発ムーブメントが起こっている。

「女優さん、そして業界にいる女性の方々で、セクハラ・性被害を受けたことがない人を探すほうが難しいレベルで、みなさん何らかのセクハラ被害を受けている」

そう話すのは、俳優の松崎悠希さん。日米で活動し、『硫黄島からの手紙』(’06年)などの出演で知られる。プロデューサーとしても活動し、“現場”に触れてきた。今、業界においてハラスメント告発が増えているが、起こりやすい事情があるのか。

「1つの要因として、日本の映画産業、テレビドラマ産業において、監督に権限が集中しすぎていること。日本では、監督の名前に“組”を付けて、製作陣を『○○組』と呼ぶことが多いですが、監督をトップとするチームです。監督にすべての決定権があるように進む。日本は監督がお山の大将になりやすい環境があります」(松崎さん、以下同)
中略

日本の映画や演劇界では、監督が過剰なまでに俳優を演技指導として追い込み、ダメ出しし、そのおかげで“名作ができた”というように美談として取り上げられてきた。

「それを誰も疑問に思ってこなかった。アメリカでは、先に演技を学び、お芝居ができるようになってから俳優としてのキャリアの階段を上っていきます。しかし、日本はお芝居ができない状態のタレントを出演させている」 

大手事務所の若手イケメンが、いきなり“主演で演技デビュー!”。日本の芸能界で繰り返されてきたものだ。
中略

さらに松崎さんが「許せない」と話すのは……。

「日本の映画会社、テレビ、制作会社などが、“ハラスメントを許さない宣言”を出さないことです。これは本当にありえない。自分の会社はそういうことをしませんというポリシーを出せない。なぜかというと、自分たちの抱えている作品にパワハラ監督が作った作品があるかもしれないから。そういう痛い腹を抱えているから宣言ができないんです。公に宣言した瞬間に、自分たちの組織内でも宣言内容を守らなければいけないという拘束力が発生します」

 これは“作品に罪はあるのか”という議論にもつながる。

「公に宣言を出した後、ハラスメントが認定されれば、その人をすぐにクビにすることができます。宣言をした手前、その人を使うことが体裁としてできない。宣言にのっとり、監督を厳正に処罰する。作品は新しい監督を雇い、製作を続行し、作品を発表できる。つまり作品は守られる。
これこそが“作品に罪はない”ということだと考えます。すでに撮っている作品でハラスメントがあったものはいずれ表沙汰になるはずです。そういった作品はもう“死んで”います。公開を諦めるしかない。今、ハラスメントを隠蔽し、最終的にバレてしまった場合、さらに被害が大きくなります。だからこそ今、膿を出すべきなのです」

悪い習慣はまだある。

「“尖った人間”のほうが面白い作品を作る、“尖った俳優”がよい俳優とされる。尖ったということは何かというと、“悪い”。素行が悪いことを尖ったと表現している。業界の膿を生む最悪の考え方だと思います。そしてこういう考え方をしている映画会社の重役は非常に多い」
「そこにはハラスメント監督とずっと作品を一緒に作り、世話になってきたこともあり、ハラスメントを許しちゃうような癒着がある。こういう人たちがまず自分がどれだけ認識が甘いか知るべき。映画会社の重役レベルから、全員ハラスメント講習を受けろ!と言いたいですね」

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