【悲報】フォーリーブス北公次 壮絶な人生…追い詰められた悲劇

【悲報】フォーリーブス北公次 壮絶な人生…追い詰められた悲劇

【悲報】フォーリーブス北公次 壮絶な人生…追い詰められた悲劇

公次(きた こうじ、1949年1月20日 – 2012年2月22日)は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ「フォーリーブス」のリーダーとして活躍。和歌山県田辺市出身。本名:松下 公次(まつした こうじ)。 ジャニーズ事務所→第一プロダクション→(有)沢竜二事務所→データハウス→エフ…
36キロバイト (5,165 語) – 2023年6月3日 (土) 21:18

(出典 oldfashioned.cocolog-nifty.com)
アイドルという肩書きに翻弄され、自分自身を見失ってしまったフォーリーブス北公次さんの悲劇に、深い哀しみを覚えます。人々が応援するアイドル側からのサポートも必要だと思います。

1 ニーニーφ ★ :2023/06/04(日) 17:54:22.80ID:nTaRcvKf9

ジャニーズ事務所の草創期、1960年代に人気絶頂だったグループといえば67年に結成されたフォーリー*。北公次、江木俊夫、おりも政夫、青山孝史。
2009年に青山、12年に北が亡くなったが、青山の葬儀の際、北がこう呟いた。

「花輪のひとつぐらい贈ってくれてもいいのに」

 北の死去後、「北公次はこうして逝った」を連載したが、これが書き出しだった。

 フォーリー*が解散したのは78年、ジャニーズに残ったのはおりもだけで、北はグループ結成前からのジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」などを出し、ジャニー喜多川とも疎遠になっていたが、事務所を支えたメンバーへのねぎらいがないことに「冷たい」と悔しさをにじませた。

 そして12年に北が肝臓がんで亡くなる。その直前に死期を察した北はジャニー喜多川、メリー喜多川に向けメッセージをつづった。

「本当に本当にありがとうございました そして最後にどうしても言わせて頂けるなら ジャニーさん、メリーさん ありがとうございました」

 青山の葬儀にも立ち会った友人は亡くなった北を思い、「ジャニーさんも花輪のひとつぐらい出してくれたら、コーちゃんは喜んだろうに。彼も浮かばれない」と語った。

 中学を卒業し、和歌山から芸能界に憧れて上京した美少年は東京・四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。ここにジャニーさんが通うようになる。性加害の根っこ。「光GENJIへ」で「おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう」と書いた。

 それでも北は最後の最後にジャニーさんを慕う気持ちを伝えたかったということだろう。

 ジャニーズ事務所を離れる前から耐え切れずに北は覚醒剤に手を染めた。貯金魔だったはずが解散した時には銀行の口座に1円も残っていなかったという。性被害、アイドルからの凋落の中ですさんでいった北。それでも最後のよりどころがジャニーさん。

 そろそろそんな呪縛からジャニーズも、だんまりを続けたメディアも解き放たれてもいい時ではないのか。話は飛躍するが、性加害には向き合わず、LGBTQ+に必死になっているメディアを見ていると、泥棒はダメとわかっていて、泥棒にも人権があるみたいな話をしている人たちとしか思えない。

(峯田淳/日刊ゲンダイ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a630a54e1a6d5d3b821313a64035c37cd973600e

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