【芸能】山口真由「私はエリート中のエリート」から転落して極貧生活 東大「全優」も財務省では何もできず2年で退職

【芸能】山口真由「私はエリート中のエリート」から転落して極貧生活 東大「全優」も財務省では何もできず2年で退職

【芸能】山口真由「私はエリート中のエリート」から転落して極貧生活 東大「全優」も財務省では何もできず2年で退職

1 ネギうどん ★ :2023/08/14(月) 16:22:31.80 ID:fZUZq0tg9

東大を「全優」で卒業、財務省を経て弁護士に。社会人経験を経て、ハーバード大学留学、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程に入学……。

聞けば聞くほど、輝かしいキャリア。そんな山口さんがエッセイ『挫折からのキャリア論』(日経BP社)を発売した。本書の133ページに書かれていたのは、社会人デビュー後、ポンコツ扱い、落伍者扱いをされていたことなどが赤裸々に綴られている。

ここまで露悪的に語る必要があるのだろうか、と思うほど衝撃的な内容だ。

「自分は“エリート中のエリート”というプライドを捨てられなかった」
――地元の北海道で過ごされていた高校生時代も、成績優秀だったと聞きました。日々の努力の賜物だったということでしょうか?

振り返ると現代の教育システムが自分に合っていただけなのです。先生(教師)から言われた通り、バカ真面目に予習をして、復習を繰り返す能力に長けていた。そりゃ、勉強は頑張りましたけど、それは他の生徒に負けたくないというだけでした。何かを学ぼうというよりは、闘争心の塊だったと今さらながら思います。

――成績優秀であることがアイデンティティーだったということですか?

そうです。私は“エリート中のエリートです”という、鎧を着ていました。

――その鎧を着たまま、財務省に入省をしたら、誰も学校の勉強のように指導、指示をしてくれなくなった。自発的に考えて、動くことができなかった山口さんはまったく何もできず、追い込まれていった……というのが退省までの流れですよね。

当時、たったの2年間で辞めるというのは異例でしたので、相当、引き留められました。何人も、何人も面談をすることになって……「オイオイ、ラスボスはどこにいるんだ〜(笑)?」と思うほどでした。基本的には定年までの勤務が前提ですから、教育期間中に辞められるのは、上司にとってもそれなりのマイナス、傷だったと思います。

みんな働いてるのに、ひとり1日中スパムメールを眺める日々…

――財務省を辞めたあと、弁護士として6年間勤務されましたが、いかがでしたか?

はじめの2年間は、学校での勉強に近いものがあったのでよかったんですよ。指示があって、完璧に動くことのできる自分がいる。評価もすごく高かった。

それが2年目以降、上司から「自分の意見を言いなさい」「この案件について、あなたはどう思いますか?」と聞かれるようになるんです。

(時間が止まるポーズをしながら)「え? 私の意見なんて要ります? 興味ありますか??」とパニックです。自分の意見なんて持ったことがないですから。

――その近辺から山口さんは、キャパオーバーに近い量の案件を受け出すんですよね。

弁護士事務所は一つでも多くの案件を任されることが、いい評価になるんですよ。だけど、私の場合焦って仕事量を増やすと、唯一の取り柄だったスピードが出せなくなる。睡眠時間が減って、ミスが増えて、また評価も下がっていくという悪循環になって……。評価の場を求めてメディアに出るようになったものの、コンサバな事務所にとってメディア露出はマイナスでしかない。それ以降は、明らかに案件をアサインされなくなってきたんです。

事務所のメンバーが目標に向かって一丸で頑張っている中、私はやることがなかったんです。出社して、朝から晩までスパムメールをチェックして。やることがないって辛いですよ。辛すぎて、悔しくて、帰り道に泣きながら歩いていたら、職質を受ける羽目になったんですけど(笑)。
m_shueisha-153490

続きはソースで
https://shueisha.online/culture/153490

前スレ https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1691982732/

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