【芸能】3ヶ月で12キロ減量、23歳で芸能界入り…「これじゃあ通用しないよな」阿部祐二の娘・桃子氏(29)が感じた“カルチャー・ショック”

【芸能】3ヶ月で12キロ減量、23歳で芸能界入り…「これじゃあ通用しないよな」阿部祐二の娘・桃子氏(29)が感じた“カルチャー・ショック”

【芸能】3ヶ月で12キロ減量、23歳で芸能界入り…「これじゃあ通用しないよな」阿部祐二の娘・桃子氏(29)が感じた“カルチャー・ショック”

「家でも母のことは『先生』と呼んでた」母はプロゴルファー、父は早稲田卒のリポーター・阿部祐二…娘が語る、ハードすぎた“文武両道”教育 から続く

 2017年ミス・ユニバースBest National Costume Awardを受賞し、現在はモデルタレントとして活躍する阿部桃子(29)。

 「事件です!」の決め台詞で知られるテレビリポーターの阿部祐二(64)を父に、プロゴルファーの阿部まさ子(62)を母に持つ彼女にミス・ユニバースに挑んだ経緯、ミスコンテストの世界での体験、一度は離れていたゴルフに再び向き合うようになった理由などについて、話を聞いた。

◆ ◆ ◆

ゴルフを一旦やめ、3ヶ月で12キロ減量

ーー阿部さんは、日本代表として“2017ミス・ユニバース”に出場して、Best National Costume Awardを受賞しています。ゴルフに打ち込むなかで、ミス・ユニバースに挑んだわけですか?

阿部桃子(以下、阿部) 2007年、私が13歳のときに、日本代表だった森理世さんがミス・ユニバースで優勝されたんです。それをたまたまテレビで見ていて「私、やってみたい」と思ったんですけど、応募できるのは18歳からで。

 18歳になって、母に「やりたい」と言ったら「まだゴルフもやりきってないし、学業も残っている。4年後に大学を卒業するときに、まだやりたいようだったらちゃんと話をしましょう」って。

 私の気持ちはまったく変わらなくて、4年後の大学を卒業するタイミングで母にまた話したら「そんなにやりたいなら、やってみたら」と背中を押してくれたんです。それで、23歳で “2017ミス・ユニバースジャパン” の大会に応募しました。

ーーミス・ユニバースは、10年越しの夢だったと。ミス・ユニバースに挑戦する間は、さすがにゴルフはやれませんよね。

阿部 そうですね。一時的に休むけど、ユニバースが終わった瞬間からゴルフをやろうとは思っていました。

ーー応募してからは何をしましたか。

阿部 まずは、ゴルフ焼けが気になりましたね。みんなの応募写真と見比べていたら「焼けてるな」って思ったのと、とりあえず、手袋焼けと靴下焼けが凄かったので、それを消さなきゃって。その次に、ちょっと線が太いなとも感じるようになって、水着審査もあるから痩せようと。応募してから千葉代表の審査の間の3、4ヶ月で12キロ減量しました。

ーーゴルフをやっていたことが、体型などにも影響していたのでしょうか。

阿部 ゴルフをやると、どうしても下半身に筋肉が付いちゃうんですよね。なので、見た目のバランスも変えなきゃいけないなって。

 まず、食べるものを180度ぐらい変えましたね。「炭水化物炭水化物」だったのを、いきなり「たんぱく質たんぱく質」にするという感じ。

 ゴルフをやっていたときに炭水化物を多く採っていたのは、持久力維持のためでもあったのですが、疲労を取るためにも欠かせなかったんです。だから、お米をすごい食べていたんですけど、それを鶏のささみ、豆腐とか、たんぱく質中心にしました。

 ゴルフ焼けは、一度全身を日焼けさせて、肌の色を均一化させることで、なんとか

ーーメイクなどもガラリと変わるわけですか。

阿部 それまでは「日焼け止めを塗って終わり」程度だったので、まったくメイクのことがわからない状態でスタートしました。道具の種類から使い方まで、イチから教えてもらって「こういうのがあるんだ」って。でも、自分が変わっていくのは楽しかったですね。

ーーミス・ユニバースは世界規模の大会ですから、メンタル面でも試される場面が多そうです。ゴルフに打ち込んできたことが活きたことは?

阿部 めちゃくちゃ活きました。ゴルフがあってユニバースに挑んだので、考え方からすべてが活きましたね。ストイックにやっていけるとか、ポジティブに考えられるとか。千葉代表の審査中は、ホテルに2週間泊まり込みで、一歩も外に出ないでトレーニングしたりするんです。

 日々なにかをチェックされるし、私の頃はどちらかが落ちて、どちらかが進めるという、誰かと誰かを比べる審査が多かった。私はぜんぜん平気だったんですけど、他の子たちは「キツい」という雰囲気でした。

阿部さんの娘か」日本代表に選ばれてついにバレる

ーーお父様はミス・ユニバースへの挑戦には反対もせず。

阿部 父は私が芸能界へ進むことには反対だったので、ユニバースをやりたいことや応募していたことは黙っていたんです。でも、さすがにユニバースの千葉代表になったときには言いました。

 父は学生の時からモデルをやったり俳優をやったり、それでも食べていけないから家庭教師もやってと、若い頃から苦労をしてきたんです。その経験を娘にはさせたくないとのことで、反対していたんですね。

 ユニバースに応募した話をしたら、しばらく心配していましたね。心配というよりは、はなから「娘が落ちたら」といったことを想定しているんですよね。だから「落ちたら、こうなるんだよ」みたいに、落ちる前提で話をしてくるし。私が傷つくことを案じているというよりも、父がショックを受けたくなくて自ら予防線を張っていましたね(笑)

ーー千葉代表、日本代表と進んでいくにしたがって、お父様も応援モードに突入していったのでは。

阿部 そうなんですよ。日本代表になったら、もうそこからはうれしくてうれしくてしょうがなかったらしくて。ユニバースのときは父のことを誰にも話さないでいたんですけど、日本代表に選ばれたときに父が「やったー!」と喜んでる映像が流れてから「ああ、阿部さんの娘か」と知られるようになって。

世界規模の舞台での“カルチャー・ショック

ーーカルチャー・ショックまではいかずとも、ミス・ユニバースに挑んでみて驚かされたことはありますか。

阿部 スピーチに尽きますね。審査するうえで、かなりのポイントにもなるのでスピーチ力が重要になるんです。私のスピーチ日本代表になるまでは通用したけど、そこから先はちょっと次元が違いましたね。

 みんな生い立ちを語ったりするんですけど、海外の方たちは経験していることのレベルが桁違いなんですよ。

 日本でも貧困の問題はありますけど、他の国は銃が普通にあったりするので、追い込まれ方が凄まじい。追い込まれていた子ほど、スピーチに重みがあって説得力があって。私は「のほほんと過ごしてきたんだな」と思い知らされましたね。

ーー桃子さんが幼い頃からゴルフをしてきた話などをすると、「恵まれていたんだね」的に見られてしまうところが。

阿部 そういう感じはありますね。たとえば犯罪に巻き込まれるような経験をしていて、そのうえで「強くなりたいから、こういうことに挑戦しました」とか「女性として私はこう発信したい」とかスピーチされると、あまりに説得力が違いすぎちゃって「そうだよな」って納得してしまうんですよ。「いろんな環境の人がいるんだな」と勉強にもなりました。

ーーミス・ユニバースに挑んだことで、抜けなくなった習慣みたいなものは。

阿部 ハイヒールを履くと、カツカツカツッと音を鳴らしちゃいます。ヒールを履いて歩く練習をめちゃくちゃやったこともあって、なかなか抜けませんね。

 あと、メイクですね。ユニバースメイクモデルさんのメイクって、だいぶ違うんです。ユニバースはすごく濃くて、眉毛も強く描いたりとか。やっぱり強い女性といったイメージを出さないといけないので。

 ユニバースの人たちは、そこが抜けないから大変なんですよ。いくら薄くやってみても、濃いんです。メイクさんにやってもらうと、「ほぼ、すっぴんじゃん!」と感じてしまって。このギャップを埋めるのには、時間が掛かりましたね。

ーー“ミス・ユニバースあるある”のような。

阿部 “あるある”かもしれないですね。喋り方が強くなって、しっかり主張もするし。ピッタリして短いスカートを履いたり、ボディコンを着てしまうとか。そのあたりは、ユニバースの人だなって感じがします。

 ただ、イメージ的に洋服を持っていそうとか、メイクにこだわってそうとか言われますけど、私自身は普段、ほぼスウェットなんですよね。すぐにゴルフの練習に行けるので、一番ラクでいいんです。

の「芸能活動反対」という考えに変化が

ーー「ユニバースが終わった瞬間からゴルフをやろうとは思っていました」とおっしゃっていましたが、ミス・ユニバースでの受賞後に芸能界へ進まれていますよね。

阿部 ユニバースの後に、父と一緒にいろいろと出るようになって、自然とそうなっていったというか。

 当初は、ゴルフと芸能活動の、両方をやっていたんです。ただ、ゴルフも芸能も甘い世界じゃないから、自分のなかで両方は無理だなと思っての決断でした。「いまの自分では両方なんてできないし、どちらにも失礼になる」といった気持ちですね。

 お仕事をいただいている以上は、まずは芸能のほうを一生懸命やりたかったので。それと、父と仕事をして、すごく楽しかったのもありました。父のほうも楽しかったようで、芸能活動には反対という考えは変わっていきましたね。

再びゴルフに向き合うように

ーー現在は、再びプロゴルファーを目指して活動していますが。

阿部 ゴルフ番組に呼んでいただけることが多くなったんです。ゴルフの練習も続けていて、練習をしているとアマチュアの試合に出たい気持ちも湧き上がってきて。何回か出場してみたら、すっごいゴルフが楽しかったんですよ。それでどんどん練習しているうちに、もしやらせてもらえるならプロを目指そうかなと。

ーー自然にゴルフをやる方向に流れていくのと、自らの意思でゴルフをやろうと進んでいくのは、やはり違うものですか。

阿部 ぜんぜん違います。小さい頃は母とだったので、やらされているという意識がどうしても強くて。さきほども話しましたけど、中高のときは母とぶつかることも多くて、泣きそうになると「コースで泣くな!」と言われるのでトイレにこもって「悲しい~、悔しい~」って泣いていたので。

 でも、いまは本当に自分がゴルフをやりたいから、自分から母に質問もするし、自分で考えて体を作っているし、すべてにおいて自発的に行動できていますね。以前は母を「コーチ」か「先生」と呼んでましたけど、ここ最近は「お母さん、こうでさ」って普通の母娘らしく話をすることもできているし。

60代に入ってからの、父の様子

ーーお父様は60代に入ってから、涙もろくなったそうですね。

阿部 昔は父の涙ってあまり見たことがなかったんですけど、いまは涙もろすぎちゃって、ちょっと大変なレベルですね。共演していて私のちっちゃかった頃の映像などが出たり、「父のことをこう思ってます」的なことを言うと、すぐに泣いてしまって撮影が進まないんですよ(笑)スタッフの方から「涙はいらないんで」って言われても、泣いてしまって。

ーー想像以上にストイックなご両親でしたけど、いまはそんなこともなく。

阿部 昔から仲はいい家族で、そのなかでゴルフに関しては、母とぶつかることがあったというくらいです。父は忙しくて家にいないことも多かったけど、基本的にいつも家族3人で一緒。

 父も私と同じで、友達が少ないし、飲みに行ったりしないんです。夫婦仲も「お母さんが親友だ」と言ってるくらいで、ものすごく良くて。

 週末は絶対に家族でゴルフしていて。週末だけじゃ足りなくて、木曜、金曜でも都合が合えば、3人でコースを回っています。

撮影=松本輝一/文藝春秋

(平田 裕介)

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阿部桃子さん

(出典 news.nicovideo.jp)

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