【芸能】野沢直子、『夢で逢えたら』で味わった大きな挫折 盟友・清水ミチコも「私は何もできない」「全然面白くない」

【芸能】野沢直子、『夢で逢えたら』で味わった大きな挫折 盟友・清水ミチコも「私は何もできない」「全然面白くない」

【芸能】野沢直子、『夢で逢えたら』で味わった大きな挫折 盟友・清水ミチコも「私は何もできない」「全然面白くない」

8月下旬、3年ぶりに帰国したタレント野沢直子(59)は2か月間ほど滞在して日本のテレビラジオ番組に出演していた。すでに家族が待つ米サンフランシスコに戻っているが、彼女が出演する人気YouTubeチャンネル『街録ch~あなたの人生、教えてください~』が11月16日に公開され、反響を呼んでいる。

『街録ch~あなたの人生、教えてください~』を主宰する三谷三四郎氏と野沢直子は、彼がアシスタントディレクター時代に一緒に仕事をしたことがあり、8年ぐらいぶりの再会になるという。2人は24歳ほど年が離れているので、野沢が日本を離れる前に出演していた伝説のバラエティ番組『夢で逢えたら』(フジテレビ系)を、三谷氏はリアルタイムでは見ていない。

高校を卒業した野沢は一時劇団に所属するも「もっとガッツリとした、お笑いがやりたい」と叔父で声優の野沢那智さんに相談したところ、東京事務所を構えたばかりの吉本を勧めてくれたという。事務所を訪ねてきた彼女の顔を見た当時の東京吉本の所長が、「お、顔がおもろいな」とネタも見ずに所属を即決したそうである。こうして“東京吉本芸人の第1号”となった野沢はすぐに『お昼だドン!』(テレビ東京1985年)への出演が決まるなど、あっという間に複数のレギュラー番組やCMを抱える人気者となったのだ。

そして1988年10月からスタートした『夢で逢えたら』のレギュラーメンバーダウンタウンウッチャンナンチャン清水ミチコ野沢直子)の中では、野沢が一番の売れっ子だったのは間違いなかった。しかし実際に収録が始まると、他の5人とあまりのレベルの差に大変なショックを受けたという。彼らは作家が書いた台本通りに演じることはなく、それぞれが自分でアイディアを膨らませてキャラクターを演じるのだが、野沢にはそれができなかったのだ。それまでどこの現場でも何気に言ったことが大ウケで、“向かうところ敵なし”状態だった彼女が初めて味わった挫折。「私は何もできない」「全然面白くない」と打ちのめされた野沢は、『夢で逢えたら』以外の番組にも自信を持って臨むことができなくなってしまう。悩んだ彼女は事務所に「仕事を休んで、ニューヨークで勉強がしたい」と申し入れ、1年という約束で了承をもらい、その3、4か月後には渡米したと三谷氏に説明していた。

だが野沢と同じように、清水ミチコも『夢で逢えたら』でダウンタウンウッチャンナンチャンと共演し、「私は、面白い」と天狗になっていてへし折られた―と過去に語っている。彼女は進学のために岐阜県から上京し、ラジオ局でバイトをしていた時にやっていたモノマネが評判となり、それからトントン拍子に渋谷のライブハウスに出演するようになった。すると清水の“毒”のあるモノマネが「面白い」と、各局のテレビ番組から出演依頼が殺到。その勢いで『夢で逢えたら』のレギュラー入りが決まったのだが、彼らから実力の違いをまざまざと見せられ「私はもうダメだ」と相当落ち込んだという。しかし清水の場合は悩みに悩んだ結果、「過去の自分を捨てて、今まで自分のやらなかったことに挑戦してみよう」と決意し、やったことの無かった“顔マネ”に挑戦し新境地を開いていったのだ。

野沢はそのままアメリカから戻らず、現地の男性と結婚し3人の子の母となった。その後、子供の夏休みを利用して“出稼ぎ”と称し、日本に帰国して働くようになったのだ。今年の8月31日の野沢の公式ブログには、「コロナ禍で日本帰れなくて、たぶんこの人に一番会いたかったと思う。笑笑」と清水ミチコが紹介されている。野沢直子が日本を離れてから約30年になるが、2人の友情は変わることはない。

画像は『naoko nozawa 2022年8月31日Instagram「3年ぶりに会えた~」、2022年11月17日InstagramYouTube、街録ch 出ました」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび

海外セレブ・芸能のオンリーワンニュースならテックインサイト

thumb-12239-1997419-entame

(出典 news.nicovideo.jp)

<このニュースへのネットの反応>

続きを読む

続きを見る(外部サイト)

芸能カテゴリの最新記事