萩本欽一さん(81)がユーチューブに挑戦! 「テレビが良かった時代にうまくいった…」

萩本欽一さん(81)がユーチューブに挑戦! 「テレビが良かった時代にうまくいった…」

萩本欽一さん(81)がユーチューブに挑戦! 「テレビが良かった時代にうまくいった…」

コント55号 > 萩本欽一 萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年〈昭和16年〉5月7日 – )は、日本のコメディアン、テレビ司会者。 日本野球連盟に所属する野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」創立者で、初代監督を務めた。司会者などタレント業のほか、舞台などの演出家としても活動する。
93キロバイト (13,672 語) – 2022年6月28日 (火) 01:28
栄枯盛衰ですね( ;∀;)

1 フォーエバー ★ :2022/06/28(火) 08:53:43.11

欽ちゃん「テレビが良かった時代にうまくいった、素晴らしい人生をありがとうですよ」…今はユーチューバー
6/28(火) 6:03配信

ユーチューブを始めた萩本欽一さん(6月10日、東京都世田谷区で)=高橋美帆撮影

 欽ちゃんこと萩本欽一さん(81)がユーチューブで「欽ちゃん、80歳の挑戦!」の配信に取り組んでいる。かつてテレビの冠番組の視聴率の合計から「視聴率100%男」と呼ばれたコメディアンはなぜ、活躍の場をインターネットに見いだしたのだろう。インタビューを申し込むと、喜んで受けてくれた。(文化部 辻本芳孝)

【動画】欽ちゃんも登場…「講義の鉄人」仏像を10倍楽しむ方法

きっかけはコロナ…「人生哲学として自然には逆らわない」
――昨年2月、名前を冠した名物番組「全日本仮装大賞」で、突然、降板を口にしましたね。

 新型コロナの急増中で、出演者とスタッフで200人もいるから感染者が出ると思ったの。「番組が終わるな」と思うくらい恐怖心がある時でした。長いことお世話になったテレビをそのことで終わるってのは、ちょっと悲しいなと思って。それで責任取っとこうと、アドリブでやめることをぶっぱなしちゃった。

――コロナ禍がなかったら続けていましたか?

 やってます。番組が嫌だったわけではないですから。「やめる」も「退く」も何か嫌だったので「どく」ことにした。テレビを離れるきっかけは完全にコロナですけど、自分の人生の哲学として、自然には逆らわない。全て運だから。

土屋敏男プロデューサー(左)、勝俣州和(右)と語り合う欽ちゃん(「欽ちゃん、80歳の挑戦!」より)

――なぜユーチューブに?

 浅草の軽演劇が私を助け、楽しい思いをさせてくれた。一番最後の仕事って何だろうと考え、動いて、腹を抱えて笑わせる軽演劇で全うしようと思った。第二の坂上二郎さんを見っけて「コント五十何号」にしようってね、それで発車した。でも、コロナで全部中止になっちゃって。

 もうやるところもないと家でじっと座っていたら、「大将らしくないね」って、土屋敏男さん(日本テレビ「電波少年」などのプロデューサー)が「クラブハウス(音声SNS)をのぞいたら、また何か考えてやりたくなるんじゃない? 家で『声出して』って言われたら出すだけだから」と言われた。断るのは友達がいがないと思って始めたんだけど、だんだん不満が出てきて、もう一歩前へ進みたいねと。それでユーチューブに移ることにしたんです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a008e1cce67174902d3b3e60e384e4e49e7d082

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