【驚愕】近藤サト 衝撃のカミングアウト…ずいぶん偏ってたんだな・・・wwwwwww

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【驚愕】近藤サト 衝撃のカミングアウト…ずいぶん偏ってたんだな・・・wwwwwww

近藤 サト(こんどう さと、1968年7月11日 – )は、日本のフリーアナウンサー、ナレーター。元フジテレビアナウンサー。日本大学芸術学部放送学科特任教授。ベルベットオフィス所属。 1968年、岐阜県土岐市泉町で生まれる。近藤家では代々、男児には15画、女児には5画の画数の字を命名するという習わし
16キロバイト (1,891 語) – 2022年5月30日 (月) 17:58
お肌がきれい・・・・素敵・・・

1 フォーエバー ★ :2022/06/26(日) 13:32:35.89

6/26(日) 6:02配信

ニットのボディコンに、ショッキングピンクのバッグを合わせて
「世はバブル経済全盛期で、女子大生ブーム。まわりはみんな『JJ』から抜け出したようなファッションでしたが、私は本流から少し外れていました。当時ははやり始めで、まだマイナー感があったヒップホップやレゲエ、ワールドミュージックが好きで、ラッパーみたいなファッションをしていたんです。すこぶる評判が悪かったですけど(笑)」

サークルも人気のテニスやオールラウンドではなく、オタク要素の強い朗読研究会に所属。

「朗研は、『安寿と厨子王』や『平家物語』などを説教節で朗読したりする、アニメ研と並ぶくらいオタク度の高いサークルでした」

女子大生ブームの大波に乗り切れない大学生活を送っていた近藤さんの元にも、ディスコへの誘いがあったという。

「“そっち側”の人間ではないと感じつつ、“ちょっと、どんなものか見ておかねば”と探求心も芽生えて(笑)。でも、TPOを考えると、ラッパーみたいな服装で行くわけにもいきません。そこで、のちに“お立ち台の女王”といわれた荒木師匠(荒木久美子)のような、ボートネックになっているニットのボディコンを、人気ブランド『ピンキー&ダイアン』で、5万円ほどで購入。仕送りが家賃も合わせて10万円だったので、まさに一張羅でした」

“いいオンナ”の象徴だったダブル浅野を参考にワンレンにし、ショッキングピンクのバッグに、黒のハイヒールを合わせ、夜の六本木に繰り出すとーー。

「初期のディスコは、フォークダンス的要素もあって、盆踊りのように輪になって踊ったりするものだから“日本人っぽいね”とゲラゲラ笑ったり。はやりの音楽を聴き、◯◯フィズとかいうかわいらしいお酒を飲みながら、バカ話。時にはナンパされたり。非常に内向的で特殊な空間に感じましたが、それはそれで楽しくて、思ったよりも居心地がよかったですね。田舎育ちで何も知らないまま上京して、吹けば飛ぶような存在だった女子大生の私にとって、同じ属性や年代の仲間と一緒に過ごす安心感、“ここの住人なんだ”という意識も与えてくれたように思います」

大学卒業後、フジテレビのアナウンサーになった近藤さんにとって、貴重な体験となった。

「在学中はNHKでアルバイトをし、レポーターも体験。勉強はあまりせず、朗読にヒップホップといった、ちょっと偏った趣味を持っていました。学生らしさに欠けていたところもありましたが、ディスコに出入りし、流行の中に身を置いたことで、バランスがよくなったのかもしれません」

だからこそ、幅広い情報を扱うマスコミ業界に飛び込み、活躍することができたのだろう。

【PROFILE】
近藤サト
’68年、岐阜県土岐市生まれ。’91年、フジテレビに入社し、アナウンサーとして報道番組や情報番組で活躍。’98年のフリー転身後は、ナレーションも数多く担当している

https://news.yahoo.co.jp/articles/9261dc5b2d3058f5cb92b4c598644e22dfdecd57?page=2


(出典 news.biglobe.ne.jp)

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