フット後藤、芸人を引退しようとしていた過去を語る

フット後藤、芸人を引退しようとしていた過去を語る

フット後藤、芸人を引退しようとしていた過去を語る

^ 吉本興業株式会社 芸人プロフィール フットボールアワー ^ “フットボールアワー・後藤輝基に第1子男児誕生「母子、岩尾、ともに健康です!」”. ORICON STYLE (2015年6月24日). 2015年6月24日閲覧。 ^ “フット後藤輝基、NSC学費未納で退学処分を受けていた「卒業してない」”
10キロバイト (1,107 語) – 2022年3月18日 (金) 04:38
これは辛いですね(*’ω’*)

1 爆笑ゴリラ ★ :2022/03/22(火) 18:12:17.37

3/22(火) 18:06
デイリースポーツ

フット後藤 M-1で紳助さん&松本から激低50〜60点台「僕はこの世界、辞めようと思った」
 
 フットボールアワーが20日放送のカンテレ「マルコポロリ!SP」に出演。コンビの歴史をテーマにトークを行い、それぞれ別で組んでいたコンビを解散したタイミングが重なり、1999年に結成した経緯などを語った。

 M-1グランプリは、結成からまもない2001年の第1回大会から決勝へ。司会の東野幸治が、M-1審査は今は概ね80点台後半以上がつくが、当時の島田紳助さんや松本人志の点数は厳しかったことを聞くと、岩尾望は「50点とか60点とか、僕らつけられました」と振り返り、後藤輝基も「一番最初(松本採点は)55点やったかな」と語った。

 優勝した中川家、2位のハリガネロック以外は、キングコングやチュートリアルらも低い点数だったが、岩尾は「みんなそんな感じでしたけど、特に紳助さん、松本さんが低いのがこたえました」と語り、後藤は「めちゃくちゃ低かった」と応じ「正直、僕は辞めようと思いましたね、この世界を」と明かした。

 後藤は「でも一年目でボロクソなって、もう辞めようと思うけど、吉本はありがたいことに次の日からまた普通に劇場の出番がありますから、辞めるいうても出なあかん、ネタ作ろう、ネタの作り方を一掃しようと」と辞めるタイミングもなかったが、翌年の出場に向け「僕が芸人やってていいのか次で判断してもらおうって位の感覚」になったという。

 「次の年であかんかったらほんまにあかん、辞めようと僕は思ってました」と語ると、岩尾も「僕ももう1回あそこに立って、何か残さんと気が済まないというのが2年目」。

 結果、準優勝となり、後藤は「(翌2003年に)優勝したときより、2002年の方がうれしかった。松本さんも、たしか面白いと言ってくれて、それがめちゃくちゃうれしかった」と明かした。


(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
‘ style=’max-width:90%’>
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
” id=”img_1_1″>
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)

https://news.yahoo.co.jp/articles/201c800bb89ab352276bc90a61b422d481ef4f26

続きを読む

続きを見る(外部サイト)

オールジャンルカテゴリの最新記事