今日1月9日は『風邪・インフルエンザの日』

今日1月9日は『風邪・インフルエンザの日』

今日1月9日は『風邪・インフルエンザの日』

症状が10以上継続する場合 症状が深刻か、普通でない場合 風邪の多様な症状は、様々な病因によって発生し、稀に淋病が喉粘膜に発生することでも、風邪によく似た症状が出る。この他にも風邪と紛らわしい初期症状を示す病気は数多くあり、これらを風邪として扱ってしまいがちなことが、普通感冒重症化場合に加えて、「風邪
58キロバイト (8,403 語) – 2022年1月8日 (土) 09:10

1795年(寛政7年)のこの日(旧暦)、横綱・谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)が流感(りゅうかん)で現役のまま亡くなった。

35連勝のまま、44歳で死去した。

「流感」とは「流行性感冒(りゅうこうせいかんぼう)」の略で、インフルエンザウイルスを病原とする「インフルエンザ」のことである。

当時、流感は江戸全域で猛威を奮っていた。 谷風梶之助(1750~1795年)は、陸奥国宮城郡霞目村(現:宮城県仙台市若林区霞目)出身の元大相撲力士。本名は金子与四郎(かねこ よしろう)。

谷風は、亡くなる10年ほど前に流感が流行している時に、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ。」と語ったことから、この時に流行した流感は「タニカゼ」と呼ばれた。

死因となった流感は「御猪狩風(おいかりかぜ)」と呼ばれたが、後に「タニカゼ」と混同されるようになった。これらのことから、インフルエンザのことを「谷風」と呼ぶ場合がある。

【谷風梶之助】
◇基礎情報
▶四股名
谷風 梶之助
▶本名
金子 与四郎(梶之助)
▶愛称
仙台の谷風
▶江戸時代の大横綱
歴代横綱の第一人者
古今十傑
▶生年月日
1750年9月8日
▶没年月日
1795年2月27日(44歳没)
▶出身
陸奥国宮城郡霞目村
(現・宮城県仙台市若林区霞目)
▶身長
189cm
▶体重
162kg
▶BMI
45.35
▶所属部屋
伊勢ノ海部屋
▶得意技
寄り
▶成績
現在の番付
引退
▶最高位
第4代横綱
▶生涯戦歴
258勝14敗16分16預5無112休
▶幕内戦歴
生涯戦歴と同一
▶優勝
優勝相当成績21回
データ
▶初土俵
1769年4月場所(大関)
▶入幕
1769年4月場所(大関)
▶引退
1794年11月場所
江戸時代に活躍し、大相撲史上屈指の強豪とされる。
また、力量・人格の面において、後の横綱の模範とされたが現役中に死去した。
ここでの谷風は二代目だが、後年の文献などから「初代」と扱われる場合も少なくない。
初代は元禄時代の大関で「讃岐の谷風」と称されていたが、これに対して本項目で記す谷風は「仙臺(仙台)の谷風」と称されていた。
歴代横綱では第4代横綱だが、史実においては初の横綱であり、事実上の初代横綱である。
♦因みに、落語「佐野山」では、病気の母親を抱える十両力士・佐野山がいることを知った谷風が、相撲会所に根回しをして回向院興行での取組を作らせた。
これを谷風の贔屓筋は勝利を確信して懸賞を付けたが、谷風がわざと負ける八百長のような相撲を取った。
しかし、江戸っ子からは人情相撲だと喝采を浴び、谷風はその後、佐野山の母親の枕元で病魔退散の四股を踏んだと伝わる。
事実ではないものの、このような話が作られるほど谷風の人格ぶりが世間に浸透していた。
また、弟(異母弟)の達ヶ関森右エ門も前頭筆頭まで昇進した幕内力士である。
谷風とは大相撲史上二組目となる兄弟幕内力士で、それ以降は昭和時代の若乃花幹士・貴ノ花利彰兄弟が登場するまで現れなかった。

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