『ヤヌスの鏡』杉浦幸  撮影秘話、アイドル時代の葛藤を激白…!

『ヤヌスの鏡』杉浦幸  撮影秘話、アイドル時代の葛藤を激白…!

『ヤヌスの鏡』杉浦幸  撮影秘話、アイドル時代の葛藤を激白…!

昭和の撮影ってパワハラ全開ですね

1 朝一から閉店までφ ★ :2021/12/09(木) 11:32:57.74

’80年代の人気女優が本音で激白180分 現場からの逃走を何度も考えた『ヤヌスの鏡』 超パワハラ&金欠生活で「ビルから飛び降りようか」と思ったことも
2021年12月09日NEW

すぎうら・みゆき ’69年、東京生まれ。アイドル雑誌『Momoco』の美少女募集コーナーに友人が応募したことをキッカケにデビュー

「いきなり主演に抜擢(ばってき)されて、スタッフの方に『視聴率はオマエに掛かっている』と言われました。演技未経験の16歳の高校生にですよ? 案の定、人形のような動きになっちゃって、最初に試写で自分の演技を見たときは『これがテレビで流れるの?』ってゾッとして泣きました」

’85年末から放映された『ヤヌスの鏡』(フジテレビ系)で杉浦幸(みゆき)(52)は鮮烈デビューを果たした。「普段は優等生だが、ふとした拍子に凶悪な不良少女へと変貌する多重人格の女子高生」という難しい役どころに挑戦した姿は、36年経ったいまも業界で語り継がれている。

「大映テレビの制作だったんですけど、大映さんのドラマって、日常生活では使わない大げさなセリフが多かったから、まず覚えるのが大変でした(笑)。厳格な祖母から折檻(せっかん)を受けるシーンがたびたびあって肉体的にもキツかった。ベテラン女優の初井言榮(はついことえ)さんは寸止めでやってくださっていたのに、“痛い顔”の演技ができなくて、監督に何度も台本でぶたれましたね。バチーンとやられて顔をしかめたら『それだ!』って(笑)。いまでは考えられない演技指導ですよね」

撮影は連日明け方まで続き、睡眠時間は2~3時間。杉浦は何度も逃走を企てたという。

「過酷の一言でした。教師役の山下真司さん(69)に投げ飛ばされるシーンなんて20~30回もブン投げられたあげく、コンクリートに首を強打して気絶しましたから。気がついたら病院のベッドの上で、近くでお医者さん3人がジャンケンしているんです。誰が私のレントゲンを撮るかを決めているんですよ。撮るときに上半身裸になりますからね(笑)。それでも『さすがにドラマの撮影は休止だろう』と喜んでいたら、首にコルセットを巻かれてトンボ帰り。お医者さんに『1ヵ月はコルセットを外さないで』と言われたのに、『撮影中の事故がバレたら困るから』と帰り道で外されて……」

苦労の甲斐あって、ドラマは大ヒット。杉浦は一気にトップスターの仲間入りを果たした。

「よく『ヤヌス御殿が建ったでしょ?』と聞かれましたが、お給料は歩合制じゃなく月給制だったんです。月5万円でマクドナルドでバイトしている友達より安くて、現場まで電車で通っていました」

’86年1月には歌手デビューを果たしたが、記念すべきファーストシングルのタイトルは『悲しいな』だった。

「デビュー曲で、なんで悲しまなきゃいけないのか(笑)。他にも候補があって、私は『初めまして』って曲を推したんですけど、これがマズかった。『歌手が推した曲はヒットしねえんだよ』とかなんとか言って、スタッフさんがNG出しちゃったんです。それでもオリコンチャートで4位に入って、『輝く!日本レコード大賞』の新人賞を狙えるかなって期待したんですけど、事務所の方針で賞レースには参加させてもらえませんでした。スタッフさんは“今年の新人賞は『少年隊』の『仮面舞踏会』に決まっているから”なんて冗談交じりに話していましたね」

賞レースには参加できなかったが、歌番組には出演できた。「『ヤヌスの鏡』の現場では『主演は共演者と口をきくな!』と接触禁止令が出されていたんですけど、歌番組は同世代のアイドルと話ができて楽しかった」と杉浦が微笑む。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://friday.kodansha.co.jp/article/217344

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