【芸能】山崎怜奈、全力で手にした学費免除&慶大合格 抜てきFM帯番組も3年5か月「大きな牡丹餅です」

【芸能】山崎怜奈、全力で手にした学費免除&慶大合格 抜てきFM帯番組も3年5か月「大きな牡丹餅です」

【芸能】山崎怜奈、全力で手にした学費免除&慶大合格 抜てきFM帯番組も3年5か月「大きな牡丹餅です」

1 征夷大将軍 ★ :2024/02/26(月) 16:57:35.36 ID:DkO0fIZB9

Encount
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2024.02.25
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■元乃木坂46、独自の道を歩んで“唯一無二”の存在に
 きっかけはFMから聴こえる心地よい声だった。このアシスタントは誰だろう? 車を運転しながら、声の主が乃木坂46のメンバーだと把握した。山崎怜奈。彼女はその後、TOKYO FMで『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』(以下ダレハナ、月~木曜午後1時)を担当するようになった。約9年半のグループ時代、仕事と学業を両立し、歴史好き、ラジオパーソナリティーとして唯一無二の存在になった。卒業後も「知る力」を生かして活動の幅を広げている。独自の道を歩む26歳に、これまでと「今」を聞いた。(取材・文=柳田通斉)

 山崎は朝に『ダレハナ』の準備をする。前夜のうちに届いた進行台本、トークゲストの資料に目を通す。聞きたいこと、オープニングトークで話すことをまとめていく。

「オープニングで話す内容を考えながら寝て、起きてゲストの方が持たれているYouTubeチャンネルやSNSも見たりします。出演者によっては、小説や映画がテーマになるので、作品を1週間前にはいただいて合間に読んだり、見て進めていきます。世の中で起きていることは、新聞のアプリなどでチェックしていきます」

 月~木曜の生での帯番組。開始は3年5か月前の2020年10月1日だった。当時は乃木坂46のメンバーで、慶応大を卒業して6か月。テレビ、ラジオを通じて、生の帯番組メインを託された現役アイドルは後にも先にもいない。文字通りの大抜てきだった。

「最初に『山崎の(冠)番組が始まるっていう話が来ているんだけど、どう』と聞かれ、『やりたいです』と即答しました。『月~木曜、昼2時間』『生の帯番組』と知ったのは8月末、資料に目を通した時でした。『えっ、23歳の私に?』という驚きはありましたけど、『また毎日、同じ場所に通う生活が始まる。楽しみ』という思いでした」

 乃木坂46のスケジュールに加えての帯番組。だが、山崎は「高校、大学時代の方が学業と仕事の両立でもっと大変でした」と言った。

 共働きの両親のもとで育ち、幼少期から1人の時間を多く過ごしてきた。ゲーム、読書好き。母親から「勉強をしなさい」と言われるのが嫌で、100点のテスト用紙を並べては「やっています」と返し、(携帯ゲーム機の)DSを続けていた。ただ、中学受験は自分から言い出した。

「小学校になじめていなくて、このまま地元の中学に上がるのは嫌で、小6の夏になって両親に『受験をさせてください』と伝えました」

 中学受験を小6夏から準備する例は珍しいが、山崎は私立の中・高の一貫校に合格。だが、学費は高額で、両親からは「大学は国公立か早慶にしか行かせられない」と告げられた。そして、猛勉強することを決意した。

「入試結果で上位何人かは1年間学費免除だと知りました。1学期中間テストの順位では、その人たちの次に私の名前があり、『わがままで、高い授業料を払わせるのは申し訳ない。頑張れば私も免除になれる』と思いました。そこからは勉強漬けで、中2から高1までの3年間は免除になりました」

■母が内緒で応募した乃木坂46の2期生オーディションで英語演説
 中学3年間の総合成績は学年1位。「成績最優秀賞」で、その名前は今も講堂に刻まれている。一方で、母親は勉強ばかりをしている娘を心配。「社会性もつけるべき」と思い、内緒で乃木坂46の2期生オーディションに応募していた。中3のある日、自宅に届いた「2次審査進出」の通知から、山崎の歩みは大きく変わった。

「当時、『アイドルになりたい』という思いはありませんでした。ただ、負けず嫌いなので、何もしないで手にした切符を捨てるのは嫌でした。『これも社会勉強、そういう(オーディションの)光景を見るいい機会』と思って決断しました」

 審査で山崎は、チャップリンが映画『独裁者』で披露した演説を再現した。テイラー・スウィフトの楽曲『マイン』も歌っている。全て英語だ。

「土曜日、学校帰りに制服のまま会場行きました。審査が始まり、『特技を』と言われ、中学の英語暗唱大会に向けて準備していたチャップリンの演説をして、歌唱審査では大好きなテイラーの曲を歌いました。当時、それしか覚えていなかったので」

 この流れで3次、4次、最終審査も突破。高1からは学業に加え、仕事をすることになった。

「中3の時点で、高校のクラスを国公立大進学コースに登録していました。それを変更できず、授業、レッスン、仕事の生活になり、徹夜状態のまま電車に乗って漢検の勉強をした日もありました。とにかく『やるしかない』と思い、必死でした」

 ※以下引用先で

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