【斉藤祥太・慶太】それぞれガテン系職人の道へ 役者としてもいい経験

【斉藤祥太・慶太】それぞれガテン系職人の道へ 役者としてもいい経験

【斉藤祥太・慶太】それぞれガテン系職人の道へ 役者としてもいい経験

爽やかな感じでこだわりなく人生を歩んでいますね

1 爆笑ゴリラ ★ :2021/10/10(日) 14:11:03.19

10/10(日) 11:01
週刊女性PRIME

斉藤祥太・慶太、それぞれ“ガテン系職人”の道へ「水道整備でオリンピックに関わった」
左が兄の祥太で、右が弟の慶太。’85年11月18日生まれ。神奈川県出身
 かつて注目を集めた有名人に「ブレイク中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、当時は言えなかった本音とは? 第31回はイケメンの双子俳優としてアイドル的な人気を集めた斉藤祥太・慶太。双子だからこその苦労や人気絶頂時の意外な私生活とは─?

慶太、祥太のフリをしてファン対応

祥太「自分たちがアイドルとして見られるなんて、思ってもいなかったですね」

 ’00年から’03年まで放送されたドラマ『キッズ・ウォー』シリーズで一躍、ブレイクした斉藤祥太・慶太。当初は兄の祥太のみの出演だった。

慶太「小学生のときに双子特集でテレビに出させてもらったことがあって。そのあと自分たちで事務所に応募したのがデビューのきっかけです。最初はスーパーのチラシモデルなどをしていましたね」

祥太「双子役以外は2人で受けに行くと両方落とされることが多かったので、『キッズ・ウォー』は僕だけ受けたんです。最終オーディションの日は雨が降っていたのですが、なぜか会場の最寄りのバス停より2つ手前で降りてしまって、びしょ濡れで会場に行くことに……」

 オーディション会場にはヒロイン役を演じた井上真央の姿も。彼女の意見もあり、祥太が相手役に選ばれる。

祥太「真央ちゃんは直感で選んだそうなのですが、びしょ濡れの姿から、必死さが伝わったのかなと(笑)」

 放送が進むにつれ、祥太への注目度もアップ。

慶太「当時、僕たちが双子だと言っていなかったので、街を歩いていると“(役名の)翼くんだ!”と声をかけられる機会が増えて。最初は否定していたのですが、同じ顔だから信じてもらえないので途中から祥太のフリをしてファン対応していました(笑)」

 そしてファイナルシリーズでは、慶太も出演することになった。

慶太「双子の弟がいるなら、作品をかき回す役で出そう……という話になったみたいです。スタッフのみなさんは祥太とずっと仕事をしていたこともあり、僕のことも温かく迎えてくれたので、やりやすかったですね」

ヒマな日はガテン系のアルバイト

 ドラマの人気もあり、イケメン双子俳優として次第にアイドル的な扱いを受けるようになる。

慶太「アイドル誌の『Myojo』で連載をさせてもらったり、アイドルっぽいお仕事も増えていきましたね」

祥太「でも当時も自分たちのことをアイドルだとは思っていなかったです」

慶太「ジャニーズのみなさんが、たくさんのファンの前で笑顔で対応しているのを見ていたし、僕らには無理だなって思っていましたね」

 その言葉を裏付けるように、当時から意外なアルバイトをしていたという。

祥太「『キッズ・ウォー』に出ていた高校生のころから、ヒマな日はガテン系のアルバイトをしていました。地元の友達でそういう仕事をしていた人がいたのもあるんですが、当時の事務所は給料制だったこともあり、日給で8000円とかもらえるとうれしかったですね」

 ’05年には、長澤まさみと共演した映画『タッチ』で主人公の上杉兄弟を演じ話題に。

祥太「双子の役もいくつかやらせていただきましたが、原作のある場合は兄役が僕、弟役は慶太……と実際の兄・弟と同じ設定でオファーがくるんですよね」

慶太「それに対しては特に不満もなかったのですが、『タッチ』では祥太とまさみちゃんのキスシーンがあったので、あのときだけは兄役を演じたかったです(笑)」

 しかし20歳を過ぎたころから芸能の仕事が減少したこともあり、以前からやっていたガテン系の仕事を本格的にスタートさせる。

全文はソース元で

(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

https://news.yahoo.co.jp/articles/8df2c8aca5b5bc000e9cfdaa2512c4708cd2d8f5

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